2017年5月1日~3日 福島県南相馬の大摩崖仏、伊達綱宗と松島≪大悲山磨崖仏群、伊達三代廟所、塩竃神社、塩釜(日本三奇)、多賀城碑、支倉常長、2代高尾太夫、お品、雄島板碑群、大崎八幡宮
2021年 03月 11日
のんびり新幹線待ち。上野は東京駅よりのんびりしてるな。 pic.twitter.com/lUB0rW8t41
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
天気悪くなるゾーン通過中 pic.twitter.com/mtT9E3fM73
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あっという間に郡山 pic.twitter.com/agf7d7xOYC
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降り出したのう pic.twitter.com/wAudZPQYAW
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福島ー。早いな。むかし毎週日帰りしてたのだし近いわな。 pic.twitter.com/OD0GZusVkD
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ややこしい。原ノ町行となってるけど原ノ町で同じ車両で浪江行になるので事実上浪江行。新幹線と同じ時間だけかかって南下する。常磐線。 pic.twitter.com/vNNOAWYiPb
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
空いてるっちゃあ空いてる。石仏見に行くなんて酔狂はこの中にいるのか? pic.twitter.com/9Bb8ddenmS
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ふたたび福島に。中通りから浜通りという大きなUターン。。 pic.twitter.com/6CJAYJTZNr
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相馬まできた pic.twitter.com/njvi4mF1pB
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原ノ町到着。中途半端な時間。雨寒い。歩くのかー pic.twitter.com/tBp2HNAPGu
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浪江行になった途端、ガラ空く。 pic.twitter.com/riyU6xuohE
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南相馬の雨上がり。わりと車通りはある。
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あるくのめんどう pic.twitter.com/dZlQbOsnz2
そんなこんなで終点の浪江駅まで。すぐ竜田行きの振替バスが出てた、なんだ乗り継ぎも可能だったね。電車はド空き。ヘリの飛行訓練の音と駅前の記念碑の懐メロがミックスして、殺伐と言ったらなんだが、誰もいない、、、一つ手前の桃内はそこそこ戻っているみたいなのに。雑草の生え方が殺伐。 pic.twitter.com/k9ou0nIXhP
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
田んぼも雑草のさかり。除染検査待ちの標識のついてるおうちもあったけど、ほんと、こんなところで大変だった。。石仏は別途つぶやきます。残念ながらというかやっぱりというか誰も観光客はいなくて、雨も降り出して、硝子は鍵がかかったままで、苦心して写真に撮る。あ、学生がえらく乗ってくるな。 pic.twitter.com/wRFMDDa9th
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
原ノ町は戦前の学校で無線通信のなんたらで有名だったそうだがそういや通信関連でなんたらと聞いたことがあった。そういう大きい街なのね。学生は有給とれるわけじゃないのね。混んでる。
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原ノ町でかい街なんだね、原ノ町始発はしっかりした電車だ(2両編成をdisってるわけではない) pic.twitter.com/HwKaQOtgA5
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相馬はもう普通に平和。普通に水田。
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ゆうひ。
さむい。 pic.twitter.com/ea39rGxwhn
阪元駅、山下駅と1キロあまり内陸に移って再開した区域。 pic.twitter.com/Qa9tg46rzz
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
9メートルの清水式千手観音(天頂で合掌しその上に化仏が坐る)。大悲山磨崖仏では釈迦三尊ほかの連座が有名ですが、やはり現在基本的に保存のため硝子戸で仕切られ肌で感じることはできません。こちら震災で全壊した覆堂がしっかり修復された結果、磨崖仏感は減ったとはいえ、照明が程よくあたり良好 pic.twitter.com/gwbD0x0Xtd
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
ちなこちらが釈迦三尊ほか計8体(現存7体、薄彫や飛天含めると11体はあったらしいが個人的に全部藤原時代作(像様や伝承から平安前中期とする説もあったが按ずるにここまで細かな線刻や彩色が東国で施されるのは早すぎると思う、大谷の最古刻とされる三尊は素朴だ))ではなく時期差があるような。 pic.twitter.com/yqwhTWu8VI
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
彩色が素晴らしいのよね。。これだけのものが福島の浜沿いの山にぽつんとあるのは不可解。探せばどこかまだあるんじゃないか。中通りには鎌倉以降とくに近世の磨崖仏はたくさんあるが、臼杵なんて一帯に広く磨崖仏が分布しているし、不可解。特に独特の千手観音坐像(摩耗激しくとも迫力は凄い)。 pic.twitter.com/Ultq8HvXyg
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
浪江の一つ手前の桃内駅(地区的には小高に含まれますが距離的に桃内が近い)から大悲山磨崖仏往復するわけですが(晴れてれば20分くらい、迷わない)途中こういう廃線路跡や意味有りげな穴を覗いて歩くと半日つぶれます。大蛇と僧侶の伝承があり煤けた大蛇神輿が。耳なし芳一のバリエーション。 pic.twitter.com/kry4fLqL8i
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
藤原時代までいくんじゃないかという大杉も見物でしょう、夫婦杉というのが2つありますがこちらの大きい方が一番最初に植えられたようででかい。下側の枝打ちしてないので、妻のほうの覆いかぶさるようなさまも異様。その間の石段は震災のまま。。 pic.twitter.com/xhWxtr1afq
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
顔は恐らく廃仏毀釈運動の災厄にあったのではないのかな。いちばん右の薬師、硝子越しではろくに見えないが顔が落ちている。いっぽう、意味有りげに奉納されているこの丸い石は、ひょっとして薬師か、一番左の完全に崩壊したらしい丸彫り像のものか。 pic.twitter.com/F2Mz9MEXp6
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
古くて駅遠のホテルだなーとおもったが大浴場とフリーWi-FiでOKとします pic.twitter.com/rReTYZqLGP
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
観光協会は一応名前だけ役場にあるが、あの感じだと観光客相手どころじゃなくて(でかい宿屋も休眠)、ドメスティックな信仰か、好奇な人々以外は来ないし、お堂や社(中に明治時代の櫃が見えて驚いた、習合してたのか)を守る僅かな方々が疎開先からたまに来てパンフ補充するだけでは。殺伐としすぎ。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
想像図でごめんね。大悲山の龍蛇伝説は受け継がれる。一面洪水を起こした大蛇はこのような池に棲んでる。 pic.twitter.com/v6kElhpLbr
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
ほーらなんか変なのかきはじめた。 pic.twitter.com/UU5pm4Z75e
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
どうせ捨てて帰るので写真とっとく pic.twitter.com/8v8hV3vuoM
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
むかしのえがらはむりだなあ くさびら pic.twitter.com/vqRSsAw4y2
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
雌杉の印象がつよすぎて。なるべく平和に書きたいのに今は心情的にささくれだってる。 pic.twitter.com/EUTTB0n3Am
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
二日目
旅先家関係なく不眠というのがわかった。今日は少しタイトだがノーマルな観光地なので不安は少ない。部屋からの眺めが滅茶いい。海。 pic.twitter.com/Q2GbbO8b2I
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月1日
小室さんのオリジナル伊達政宗の胸から上が残っとった。 pic.twitter.com/2BJis3C0uP
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
呪いの砂糖大根だよなこれじゃ。。 pic.twitter.com/kKb3GvV5tq
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
綱宗目線で伊達家の宝物みてると面白い。お品(三沢初子じゃない方)=なぜか高尾と呼ばれたというのが真相らしい。高尾太夫ほど美麗だったということ?(綱宗は別の太夫に入れあげていたのが真相らしい)お品は品川大井町に住んだけど仙台出身で綱宗が左下顎の癌性病で没した後、仙台に戻った。 pic.twitter.com/E5t9cM1b4n
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
塩釜でやることがなくブラブラしていたら。壱番館にて「この世界の片隅に」上映だそうですよ。 pic.twitter.com/8Oza2XlooW
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
今日のことをツイートするのすごくめんどくさいので、こんなめんどくさい階段みつけたということで。真ん中のは何だ? pic.twitter.com/q61y3uNNbH
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
はい鹽竈神社(中は大丈夫)
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
わかってはいたけど、鹽竈櫻にこれはちょっと哀しい。こちら県の方々、みんな親切だけど、かんたんなこと聞いてもわからないという返しが多いなあ。。博物館の方くらい把握してても、ってことが二度ほど。。いや、こちらがマニアックすぎるのかもしれん。五冊買う方が変。 pic.twitter.com/kJFRzf87eB
鹽竈神社の狛犬は江戸後期の多様な石工の手による多様な狛犬が見れてたのしい。江戸みたいに規格品的じゃない。長崎みたいに近年作でもない。のでゆるす。河童狛犬かと思ったら角か宝珠が取れた穴だった、というような狛犬も。 pic.twitter.com/f8x3IZbh0Z
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
東北歴博は建物は物凄く立派だが(庭の移築民家も裏の多賀城寺跡もスケールがでかい)展示物は多賀城関連以外、表記がないものもほとんど模造っぽい。しかし東北史を民俗含め俯瞰するのに(蝦夷視点はないにせよ)滑らかに並べられとてもわかりやすい。遮光器土偶がこっちのほうでも出てたの知った。 pic.twitter.com/Zx2ak3nzGu
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
そしてこれが天平年間銘ある「つぼのいしふみ」、日本三古碑(文字・年代刻のあるもので最も古いとされてきた三つ、前に載せた「日本中央の碑」こそつぼのいしふみとする説もある位、石碑の年代特定は難しい(昔の年代を刻むこともよくある))。石碑は湿気がないと文字が浮き出てこない。覆屋はなー。 pic.twitter.com/Pi7AI2K69M
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
仙台市博のほうもでっかい施設だが、展示室自体は細かく別れ限られている。可愛い人形に見とれて、うっかり伊達騒動案件とか支倉常長案件とか見逃すとたいへん。見所が分散しわかりにくい。遣欧使節関連の多くはまとめて国宝指定なので、禁教後の扱い含めて見るように展示されている。かなり撮影可能。 pic.twitter.com/lOSSEq6b9F
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
瑞鳳殿資料館と鹽竈神社博物館は撮影不可だが、前者は近年発掘時のものをありのままに展示しているので、そりゃ無理です。ご遺体関連なのだ。鹽竈神社のほうは刀が多いし(一部指定文化財は特別展のみ公開、これはどこも同じ、神や個人に纏るもの)狭いし、重文の棟札など本来展示すべきじゃないかも。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
ちな青葉城三の丸跡に建ってるのでみんなそのまま山登ってたようだ。 https://t.co/8exiEjwB0R
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
打ち捨てられた宇賀神みたいでへんだ。 pic.twitter.com/5EcbA2PqOu
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
高尾太夫の謎については鴎外が書いたので一種権威付けされたものの、その後別の権威者が説をたてて、またまた高度経済成長期に生活の余裕が出た人々が失われた歴史を返してそれにも反駁し、結局、その三方向で混乱してしまっている。お品は何処の人? https://t.co/XdWJijWKXU
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
側室にあげられながら高尾と呼ばれ続けたのは疑問がある。後世の俗称ではあるのだろうが、品川仙台屋敷(綱宗幽閉の地)で高尾塚が築かれたのも麻布仙台屋敷で高尾稲荷が祀られたのも、それが伊達家から離れたとしても武家屋敷として継がれていった土地の以上、俗称を繋いだのはおかしいよなあ。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
しかし、高尾が無数にいて(これは高尾が三代で絶えた三浦屋抱の太夫という説への反駁としては成立つ、別店で勝手に使った可能性も)、みっちり詰まっていて、春慶院の秋葉のあしらわれた供養墓の主も万治高尾も仙台高尾も、薄雲すら高尾を名乗っていたというのも全部別人として並べ立てるのは、根拠?
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
品川屋敷(大井屋敷)跡行けばわかるがとんでもなく広大で海に面した風光明媚な場所(当時は辺境)、ここに当時の風雅大名にはよくあることだが広大な庭園を作り、朝呟いた浦島太郎一行像はそこにあった鑑賞設備とのこと、鴎外説の高額硝子屋敷で狩野派の絵を嗜み煙管を吸い亀千代に書を送る日々。うん https://t.co/2l7OEDZfoE
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
鴎外が惹かれたのもわかるな。瑞鳳殿設備の3つの御霊屋(空襲で全焼)のうち、三代綱宗廟のみ写真が残っておらずいっさい記録もないというのは、もちろんその時代には殉死が禁じられ華美な装飾も出来なかった(前二代より立派には出来なかった)ろうし、良くない伝承から人気がなかったかもだが不可解
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
三代が三代とも独特の別の埋葬方法がとられていたのは驚いた。正宗はともかく、あと二代はそれぞれ水銀、蛎殻石灰で固められ防腐措置が施されたというのもすごいし、何故か石材不足が原因と断定されてるが、確かに巨大自然石製の多い土地柄とはいえ古い板碑で石室を作るとか。綱宗は瓶棺を吊るされてた https://t.co/4CM2rHw1KK
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
伊達政宗公の遺髪(DNA解析済)等なんて鳥肌たった。寝る。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月2日
三日目
スギハラ品、通称高尾と椙原2基。仙台駅歩25分江戸初期創建(元は福島にて中世まで遡るため古い縁のお墓(右手駐車場奥から無縁のように並ぶが調査結果コピーを頂ける)もある)仏眼寺。幕末堂の内陣格子欄間に縦三引(確認できず)と輿2、地震損壊した笠石は木瓜紋。元は綱宗側室らしく立派だった pic.twitter.com/ISDugexEY1
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
仏眼寺にはおとめの方という人も品川屋敷に仕えのち、綱宗側室になり、大原家として代々続いたとされていた。お品、おとめ共に本人は綱宗没後剃髪し尼となったといい、戒名が普通と異なる。このお寺はなかなか奥深い歴史があり、途中伝承が断絶したり伊達家に関わったりなど、正史が読み辛い。資料頂く pic.twitter.com/Dc3XrAKdx9
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
お品の方の左側面に珍しく建立碑文があるが、通常状態での文字判別は困難。後代が建てた可能性が高いと思う。笠石は昭和の地震で崩落したようだが、後補の小さな笠石も古く見える。他の墓石より転用した可能性。いずれ浅草の高尾墓の立派な大名様式のものに近い形式だった(写真があった)。 pic.twitter.com/QNvSrjyCLV
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
長宗我部の遠縁とも取れる香宗我部末裔(安政)墓、本家が東京だが福島の分家が守っている(ご住職によれば中世まで遡る)武市墓、どちらも土佐の香りがする、、、武市は越知の名が入るのも怪しい。 pic.twitter.com/LTJtH0ayNP
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
帰りはふつうの新幹線(コンセントはある)
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
サラバ
まともに飯食ってないのでこれから pic.twitter.com/oE7obaOSk7
雄島はあれですね、恐山より著名な霊場だったのは事実だろうけど、現在残る板碑ややぐらの殆は近世のものでかつ記念碑句碑に墓標が混ざるという混乱状態。松島最古級といわれるものも鎌倉時代(全く同じ時期の同じ黄色板碑が五大堂行く途中にある)、頼賢の大板碑も建長寺系だし、民間信仰化したのか。 pic.twitter.com/mbLwME0Khx
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
宮城はふつうにSUICAが使える場所が多くてびっくりだ。仙台や松島はSUICAで事足りる。チャージしとくもんだ。瑞巌寺ですらSUICA対応。本堂だけを見に行ってました(震災直後にも行ったが松並木がほとんどなくなりやぐら区域が立入禁止になってたのはびっくり)、素晴らしい国宝。 pic.twitter.com/t3Htlqv6mO
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
ついにトレイルラン用無茶軽いミレーのザックの肩紐が切れてきたので、長年お疲れ様。山用ザックは何十キロにも耐えるが、20年は軽量ザックにしては耐用年数超えてしまったかね。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
南相馬はキジ天国、仙台はウグイス天国であった。無生物ばっか見てて生物に気付かなかった。松島でカモメの餌やり禁止になったのか。浜で石拾ってるとトンビ並に低空で狙ってくる。無生物だから。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
塗ってしまうと国宝も国宝として見られん。どこもそうだが、安土桃山のころのものは江戸時代上塗りされた部分含めそのままにしておいて、表面保護にかこつけてピカピカに厚塗りしないようにしてほしい。瑞巌寺の本堂は補修の可能性もあるが彩色等(博物館移設の襖絵除く)なるべく残して良くわかる。 pic.twitter.com/rRjmuUBRsx
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月3日
昔の大崎八幡宮…しかし今回三沢初子ガン無視したな。。
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