2017/6/14港区三田を行くシリーズ(4)桂坂旧道をたどる&二本榎の残骸を探せ!(参考写真追加)
2017年 06月 14日
三たび高輪台。今日は用事のついで。幽霊地蔵に参りに来たら開運稲荷(開運山光福寺なのでこのお名前)がお祭りのポスター。前に気付かなかった、奉納夫婦キツネ面。桂坂上の高野山別院は広大。皆新しいけど圧巻の石彫・建築物群。四国八十八ヶ所石仏で一心に拝んでる人が。県単位で戒めが書いてある。 pic.twitter.com/v80Qs9gVS4
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日
二本榎の末裔はやっぱり見つからず。隣の寺院との境に落葉樹が3、4本あったけど隣の境内にあたるし多分違う。その門前から旧桂坂が始まる。今の桂坂はまっすぐ高輪の海に出るが、途中合流するものの入り口と出口が横に屈曲して往時の寺町下の寂しげな風情を感じさせる。左に小学校を見てゆるーく下る pic.twitter.com/6JyLSyovHp
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日
最初の四つ角で右折、すぐ現在の桂坂に当たり、いったん合流します。 pic.twitter.com/4TYFFxO77P
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日
もうかなり下って下り切る寸前で左折。こちらが旧道。左にお屋敷の塀を見て突き当りの寺院門前から右に折れて、程なく第一京浜(東海道)に出る。坊さんカツラ被ってこの道を下りて、右の品川宿へ遊びに行ってたんですね。転んで死んだと。これが旧桂坂(厳密にはずれてるけどルート的にはこの感じ)。 pic.twitter.com/mBD4GazBRH
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日
坂右側の木々鬱蒼とした路地を下って回り込むと最初のイギリス公使館となり攘夷派襲撃事件で知られる東禅寺。昔の高輪台の寺町風情を残している。崖面に広大な墓地と境内を擁し、その中を路地が巡り古い宅地等が散在する寂しい林。だが閉門してた!4時で!三重塔を外から見る。墓地調査拒否の貼り紙。 pic.twitter.com/oco8cmVrd4
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日
東禅寺の木々は有名人も多いという墓地をまるきり覆い隠している。道を桂坂に登り返し、少し下って以前もチラ見した短い洞坂。法螺貝が出たという説も書いてある。頂部から屈曲して東禅寺方面に下る路地。 pic.twitter.com/4prxMfiDmc
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旧洞坂からも第一京浜からも入れる高輪神社。ここも江戸時代には賑わった古社だがひどい戦災で石造物のみ残り、それらはまとめて地面にコンクリで固められてる。原型不明の石塔残欠も。 pic.twitter.com/oOYVCmLshX
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日
注目は社殿左の太子宮。観音開きの門を模した見事な石障裏に文政年間銘と無数の名前、塀裏左右に見事な彫刻。その他民間信仰の石造物がみしっと集まっていておっとなる。 pic.twitter.com/sZHGYnAvd7
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これはどでかい力石一対と、形は明らかに性神(読めない文字が彫られているが品川の遊里と関係があるのではないか)、正面塀裏に何故か二福神。こちらにも狛犬があるが恐らく高輪神社本殿の江戸後期のものより新しい。もっともあちらは戦災で焦げ欠けたままの真黒い姿、こちらは小振りでも綺麗。 pic.twitter.com/MZFV8Wqcmh
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日
第一京浜を品川と逆へ行くとほどなく泉岳寺道の分岐。その手前のビルにこのような表示。まんま「稲荷神社」。戦前は海を望む古社の趣あったろう。ここでタイムアップ。なんだかんだで古い町は古い区割り通りに周ろうとすると時間がかかってしまいます。迷うし。 pic.twitter.com/C4FguxE1j9
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年2月16日