江戸三大流行神を収集しよう(写真追加再編集)

幕末近くに江戸で爆発的に人気を集めた神様たちがいる。情勢不安や天候不順など様々な問題を背景に、庶民に現世利益をもたらすもの。それを流行神といいます。

人々は神様を突然「発見」し、長蛇の列で拝み倒しては門前の屋台が潤う。流行ものは収まるのも早いが、別のところでまた「発見」されては人々が殺到する。武家屋敷の中の祠にまで押しかけたそうです。神様は変な石から由緒正しい仏像、果ては流れ着いた土座衛門(水死人神様)まで、様々。

(以下引用)流行神とは、嘉永元年の暮れから突然流行しはじめた、内藤新宿の正受院の奪衣婆参詣、嘉永2年4月から開帳された両国回向院の於竹大日如来、そして日本橋の翁稲荷信仰を指す。(引用オワリ)

ここでは江戸末に勢力をほこった三大流行神をまとめてみます。

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まず典型的な流行神として「人間が大日如来になった」お竹如来があげられます。

降ってわいたように光臨する神様。(実際は羽黒山の修験者が夢のお告げで「認定」したよう)
時代は江戸初期ですが、お岩さんもそうですけど、信仰はたいてい死後に「作られていく」ものです。流行神としては「再発見された」に近いのかもしれません。
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お竹さんが使っていた「お竹井戸」の跡。
回向院で開帳されたというものは恐らく写しである増上寺のものか羽黒山黄金堂のものか・・・恐らく前者だと思われます。(最初江戸にこういうものを置いてはいけないということで羽黒山へ移された経緯がある)。
地図

昔書きましたね=>大江戸怪異重箱つつき2
http://ryookabayashi.sakura.ne.jp/edokaii20050604-2.html
うしろのほうに「お竹井戸跡」について書いてあります。
こちら中央区観光協会のページにも。
こちらは諸情報大変くわしい。中央区郷土史同好会さんです。
http://homepage2.nifty.com/makibuchi-2/kyodoshi/101kai.html

お竹は実在しました。大日如来になって天にのぼりっぱなしだったわけではなく、降りてきて地上のお勤めを地味に果たし、今は(後世の作で移転もしていますが)赤羽の善徳寺に墓もあります。まな板とか像とか茶釜とか、関連遺物もあり、桂昌院の耳に入っていたく感銘を受けられたということで葵の紋の収蔵箱もしつらえられており、芝増上寺下の心光院には近年お堂(大日堂)も建てられています。
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下に置かれた黒い箱が俎板の入っている箱。
地図
ちなみに大日堂を寄進するにあたり蛇の不思議な縁があり、今はすこし工事をしているようですが、芝公園の鬱蒼とした木々の中に蛇塚というものも作られています。そう、号泣島田氏が有名にした「パワースポット」です。上記郷土史同好会さんのサイトも参照ください。勝手にリンクしますがこちらも。
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なお、心光院さんとは東京タワーの真反対にありますが、心光院さんの上空に竜が舞っている夢を見たということから心光院さんにも蛇のお廟があります。

現在は卵のお供えは禁止。


二人目。こちらも古いものがリヴァイバルしたもののようですが。

新宿は正受院の奪衣婆。(太宗寺の有名な奪衣婆は明治初期のものでこれとは違います)
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地図

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wikiリンク
(引用)綿のおばば
正受院の奪衣婆像は、咳止めや子どもの虫封じに霊験ありとされ、お礼参りには綿を奉納する習慣があった。幕末には、奪衣婆像に関して「正受院に押し入った泥棒を霊力で捕らえた」「綿に燃え移った火を自ら消し止めた」といった噂が広まり、嘉永元年(1848年)の年末から翌年にかけては参詣客が正受院へ押し寄せる騒ぎとなった。歌川国芳などにより、綿をかぶった姿の奪衣婆を描いた錦絵が多数発行され、現存している。あまりに盛況であったため、寺社奉行により制限を受け、正月と7月16日以外の参詣が禁じられた。 (引用オワリ)
(引用)奪衣婆像 - 新宿区指定有形民俗文化財
小野篁製作との伝承を持つ奪衣婆像。「綿のおばば」と呼ばれ、頭から頭巾のように白い綿をかぶった姿で祭られている。現在では「子育て老婆尊」とも称される。(引用オワリ)
なかなか風情のある像だった気がします。
地獄と縁深い小野篁作といういわれはともかく、「新宿老婆王」という名で呼ばれ、悪い願いを祈った者の目玉を引っこ抜いたとかまことしやかな話が戯れ絵とともに流布していたといいます。

こちらが大変くわしいです。リンク
http://kkubota.cool.ne.jp/datueba.htm



三人目。翁稲荷。

他力本願なのでまたもやリンクで逃げてしまう。茅場町の日枝神社境内に移されて合祀されているのが江戸三大流行神唯一の動物。しょうじきこの神様については余り詳しいことはわからない。もともと日本橋四日市町の稲荷だったということで四日市翁稲荷と呼ばれていた。
こちらにちょっと詳しい記事リンク
日枝神社の境内にうつされたのもそれほど昔ではないようだが(もともと川岸にあったようだ)、祇園稲荷と合体して明徳稲荷神社として祀られており、往年の勢いは感じられない。翁稲荷というのは老人の姿をした稲荷の類型のひとつ。駿府には安倍晴明をまつった翁稲荷社がある。
暗くてすいません。。
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地図

てなわけで最後に

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※リンクから表示するとレイアウトが崩れるためやむを得ずDLしたものを表示しています。
元画像はこちら

(引用)じいさんとばあさんと娘の三人で三国拳を打っている。
解説ここには、嘉永2年(1849)正月、市村座「新規一拳酉魁声(しんきいっけんとりのはつこえ)」で演じられ、大流行した「三国拳」を興じる、当時の流行神、翁稲荷と奪衣婆とお竹大日如来が描かれている。流行神とは、嘉永元年の暮れから突然流行しはじめた、内藤新宿の正受院の奪衣婆参詣、嘉永2年4月から開帳された両国回向院の於竹大日如来、そして日本橋の翁稲荷信仰を指す。じいさんは釈迦(天竺)、ばあさんは天照大神(日本)、娘は孔子(唐土)の形を取っている。詞書ではこの三人が、狐拳や御利生拳について面白おかしく話している。またこの図と詞書(三国拳の替え歌)が異なるほかは、絵も落款も改印も板元印もすべてが同一の図が確認されている(本データーベース10022)(N.B-21.05.2010)。
所蔵ウイーン応用美術館、新宿歴史博物館、ライデン国立民族学博物館 Nr.1353-976(引用オワリ)


流行神絵というのは戯れ絵なんですね。風刺としては「金儲けの算段をする流行神たち」といったモチーフのものがあげられます。まあ、


宗教は商売ですから。

怪物図録全集


しかしこのての記事は人気無いなあ(;^^
by r_o_k | 2013-02-04 14:47 | 不思議 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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