揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

雨中信濃神秘紀行<2>上諏訪のまき

つづきです。
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タケミナカタ命が出雲の国譲りで一人反対したものの相撲に敗れ諏訪に敗走し居を構えた、その妻神ヤサカトメ命とともに祀られたのが諏訪大社の上社下社。有名な諏訪湖の「御神渡り」は仲違いして両社に別れたというその伝説にからめ、年一度冬の日の夜明け、タケミナカタが下社に向け通うさい、凍った湖面に足跡をつけていくとされた。朝日による溶解が容積変化を促し湖面に大きな亀裂を生じるとされているが、アマテラスより古い自然神的な側面を強く示している(ミシャグチ信仰が根にあると言われた)諏訪神の様相を象徴するひとつの「神事」である。諏訪大社には七不思議など秘蹟があるが、ごく原始的な自然信仰の現れが随所に見られる。もちろん有名な御柱が独特の進化をとげた神おろしの祭りとして知られるけれど、普段四隅に立てられる柱は明らかに結界を示すもので、近辺では小社ですら御柱をもつ造作が多い。
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それはそれと禁忌の神居森、一般の立ち入ることのできない斎場に各所のイワクラ、神体山、これは三輪山にもまして三輪山的な風景で、また後世に仏教や明神系の信仰が入り込んだためにとても複雑で意味のわからない構造になっている。上社下社はそれぞれ本宮前宮、春宮秋宮と分かれており、細かい神事を行う社はさらに各地にばらばらになっている。上古のことゆえ紐解くのは容易ではないが見てまわり香りをかぐことはできる。
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上社本宮は奇妙な配置で知られ、神森を擁する拝殿と、最も重要なイワクラである硯石と神体山を擁する遥拝所が立ち入り禁止の斎場を前に方角を異にしている。森にかつて弘法大師の秘蹟があり、もともとは四脚門から硯石を拝むほうが正しかったのではないかといわれている。
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門は奇妙に小さいが左右に東西御宝殿を配し、それらや回廊である布橋を縦切り降りたところにある天流水舎の屋根からはどんなに旱であっても水が滴り、天竜川の水源のひとつになっているという。硯石の上の窪みにも枯れない水溜りがあるといい、諏訪七不思議のひとつとなっている。
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布橋から参拝所に回り込み、重文の拝殿を。背後の森が神居。右手が硯石と神体山でこれらの原生林が保護区になっている。それほど大きな木は神木をのぞいては無いように見えた。
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降りて天流水舎へ向かう角にある石もイワクラである。タケミナカタの沓跡があることから沓石といわれ神事も執り行われるという。一の柱のもとという不思議な何気なさだが平安の昔からすでに諏訪七石に数えられてきた。石の天逆鉾が立てられ、江戸時代民間信仰の対象となっていたらしい。
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四脚門、天流水社、神楽殿が古参拝路だったあかし。写真左手に祓池、相撲に縁深いことから雷電像。腹だけ。
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次は下社です。ここまでを朝一で済ますには上諏訪に一泊必須。

つづく。

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by r_o_k | 2010-09-23 23:45 | 旅行 | Comments(0)

by ryookabayashi