(レコメンド)万治の石仏はモアイじゃないよう(写真追加)
2010年 09月 16日
おしまい。
ちゃうわ!
また記事化しますが、昔の写真を整理していく中でこの一枚だけ出てきたのでご紹介。なんとさいきんはパワースポットになっているとか。。。いいかげんにしなさい。
けっこうでかい。母体となる鮒型の大石と、上に差し込まれた頭石からなります。最近修復不全で頭が落ちた事件があったそうですがその前の写真です。
当時(90年代後半)既にずいぶんとまわりが開けてしまっているように思いましたが、そのむかし岡本太郎さんが驚いたプリミティブな石仏でございます。
すぐそばの(出雲とならび日本最古の地神といわれる)諏訪大社下社とは違い、
万治年間(1660年代)
に作られたものです。石仏としては新しい部類で、一時期石仏ハンターだった私にとってさほど興味をそそられる時代モノではなかった。飛鳥時代とか、せめて室町時代・戦国時代あたりじゃないとねえ。
wikiリンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%B2%BB%E3%81%AE%E7%9F%B3%E4%BB%8F
どうしてもモアイ的な顔に目が行くでしょう。このような造形は石材と石工技術に由来する場合があります。加工しにくい、あるいは加工技術がない場合、造形は単純化され、プリミティブになる。目鼻の作りなどはそんなかんじがします。兵庫の北条石仏(五百羅漢)ほか、奇妙さを印象付けそれぞれ不思議スポットにされているけれども、実際はそんなところに造形の理由があります。仏像に関しては素人に近い。但し弥陀の原型はよく観察してつくられていて、江戸にもよくある庶民仏像に通じる部分がある。
頭石よりも胴体の大きな自然石に目を移すと、丸石信仰(小夜の夜泣き石とか秩父の即道爪彫り石もそのたぐいかと)や、江戸時代に発展した力石の信仰が背景にあったのではないかと想像されちゃいます。なるべくノミを入れず表面に模様を刻んだだけなのは、材質のせい以外にも、有名な伝説の、石鳥居の石材にしようと職人がノミを入れたら血が流れた。びっくりしてやめたところ夢のお告げで山にもっといい石があるとのこと、確かにみつけたので以後石仏として信仰復興された、このあたりの伝承にも通じるところがあります。時系列が混乱している可能性もある。これは下の石が元々あり、伝承があって、石仏に加工されたのではあるまいか。なおかつ二名の願主の銘があり、現実的な成り立ちの背景があったように思います。
しかし・・・なんでパワスポなのか???
いずれこのときの旅程のエントリあげます。諏訪盆地は少なくとも古墳時代から連綿と続く文化的土地です。歴史小説書けるでしょう。誰かが。