2010/5長崎(最終回)平戸島、そしてふたたび長崎、原爆の爪痕。。(古絵葉書追加)
2010年 05月 16日
旧松浦邸の資料館。松浦静山の甲子夜話が展示してある。
六角井戸。前掲のものと同様、この近くの日本初のオランダ商館にある井戸と並んで外国人による建造の井戸として目を引く。
すぐそばの大蘇鉄が南国情緒をかもす。
平戸教会は昭和初期のゴシック建築だが、5時に閉まったとのことで入れなかった。るるぶには5時半とあった。いいかげんだよなあ。長崎に密集するカトリック教会は多くは神父さんが常駐していない。
教会から寺の脇を降りていくと、寺と教会が混ざった独特の石塀風景。観光ガイドにものっている。
湾を渡る途中の幸橋は18世紀初頭の古い橋でオランダ商館の石積み技術を使ったことからオランダ橋と呼ばれた。そばに湾底からあげられた洋船の碇が展示してある。古書にも出てくるものだ。
橋向こう役場の先はすぐ城への上り口になっている。平戸を象徴する出城は一つの門と一つの櫓のみ残っていて他は再建。櫓は狸櫓という通称で呼ばれた。ゆえんは掲示参照。
城から汽水をこえ平戸の街に再び戻る。じゃがたら娘像。
岬の先へ向かう。オランダ商館のあったあたりはちょっと町並みも違う。オランダ井戸が目を引く。
オランダ商館を再建中で、礎石など発掘も進んでいる。
湾口のこの荷揚げ石段はオランダ商館のものだと言われる。
脇のオランダ坂はオランダ商館時代の石積みが塀として残っているもの。このオランダ式の石塀は他でも見られる独特のものだ。
その上にはフランシスコ・ザビエル記念碑、ここで一生を終えた三浦安針の供養墓がある。いずれ新しい。
美しい港町だった。
・・・
翌日は長崎へ戻り、軍艦島に行くはずが欠航。まだ完成してない出島の「江戸村」を見てから、路面電車で浦上方面へ。長崎原爆資料館や浦上天主堂。浦上はカクレキリシタンからカトリックへ変遷した長崎でも最も急進的なキリスト教区だが、爆心地に近く、壊滅的な被害を受けた。巨大な堂は吹き飛び、残った塔の一部が集落跡(消滅)の爆心地公園に移築された。「被爆のマリア」は万博出張中(当時)。
痛々しくも頑張っている被爆楠。
残ったものの、何者かによって持ち去られた一の鳥居跡。(自動車事故で壊して撤去したと聞いた)
そして、嵐の長崎を後にした。
おわり。。。