フリッカ連携・ミステリ写真だらけのまとめアップ<改>

http://www.flickr.com/photos/38136682@N02/sets/72157618629064754/
沖縄本島(本部半島)
今帰仁城
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;当時は中南米のジャングルの城みたいな未整理感が何とも言えなかった。今はかなり整備されているということですが、いずれ山岳地形を利用した見事な城壁が見モノ。本州がまだ石垣文化を本格的に取り入れていなかった時期に琉球王朝と闘った北山王城の残骸としてミステリアスな雰囲気も残している。

伊江島
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;中央にそびえる岩峰タッチュウ(城山)で知られた小島、悲惨な戦跡、そしてここも島争いの伝説に彩られている。
力タンナーパの足跡;イータッチュー頂上にある窪みのついた石で、大男タンナーパが隣村との戦いでここにふんばり巨石を投げつけて退散させたとき、ついた足跡といいます。が、このときは工事の人が荷物置きに・・・こないだまでやっていた「日本ミステリー」で琉球=ムーの末裔という珍説の証拠の一つにあげられていてびっくりした。足跡石って本土なら弁慶か鬼系だよね。「力ばか」系ということなのか。
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伊江島ハンドー小;昔のサイトに書いたので詳しくはそっちを見てください。南島のお岩さん。演劇となって有名になったというのもお岩さんぽい。辺土名の美女ハンドーグァーと旅の途中に好い仲となった伊江島の地頭代カナーヒー、しかし彼には妻子がいて、叔父に連れ戻された。嘆くハンドー小に同情した船頭主が密かに島に送るが、再会したカナーヒーの冷たい仕打ちに長い黒髪で首をくくってしまった。のちカナーヒーの家には不幸が絶えず、夜な夜な亡霊が訪れるようになり、ついに家(島村屋)は絶えてしまった。家の跡地は今も忌み地となっていてハンドー小の銅像と錆びた魚雷が目印になっている。船頭主の家は子々孫々栄えたという。
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http://www.flickr.com/photos/38136682@N02/sets/72157618627810680/
粟国島;
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ナビィの恋のロケ地としてのちに有名になったようです。見所が案外多いのんびりした島。空港建設でもめてましたが今どうなってるんだろう。白い歯を剥き出しにした鯨の形をしていて、歯の部分は干潮時に歩いてしか行けないんですが、真っ白な岸壁に波で抉れた「口」のさまが凄い。上からは夕日が凄い綺麗。
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洞寺(てら);本島で博打で負けた坊主が渡ってきて、この鍾乳洞を寺院として島唯一の僧侶として生涯を送った。詳細は謎に包まれ、寺もそのまま鍾乳洞と帰したけど、今は立派な観光地として整えられている・・・けど人は少ない。この近くに「噂の東京マガジン」でだいぶ昔話題になった製塩所がある。島塩ブームの火付けでしたが。。

金谷鋸山日本寺ミステリ石仏考http://www.flickr.com/photos/38136682@N02/sets/72157618494671589/

房総半島にはいろいろあります。鎌倉から海路すぐだけあって特に鎌倉時代から南北朝時代あたりまでシンクロしたものがあります。

うろおぼえですが・・・

鋸山の麓、金谷の鏡石;江戸時代に引き上げられたもので一時期は日本武尊の船の先頭につけた巨大な鏡だったといわれていましたが、製塩釜の蓋等の説が強い。

鋸山の彫刻、日本寺の石仏群・日本最大の大仏、石切り場のケバい磨崖仏(このときはまだ装飾が復元されてなかったので地味めのお化粧)、崖観音の磨崖仏;

この古寺も昭和の大火災で殆ど寺宝を失ってしまいましたが石仏だけは残っている。ただ、どれも江戸時代から近代のもので、しかも一人の仏師がほとんどを彫り上げ最後は自分の墓石をその中に建てたという、ちょっとミステリぽいかんじもある。首無し地蔵が多いことでも有名で、博徒が多かった荒い土地柄を象徴している。廃仏毀釈のおり地蔵の首をかいて袂に持っていけば博打に勝てるという俗信があったのだ。崖観音は多聞に漏れず奈良時代の高僧由来ともいわれるが、藤原時代という見方もありそうすると房総でも最古のたぐい、関東では栃木の大谷にならぶものと言える・・・が舞台からの景色はともかく石仏は小さくて覆い屋の中でよくわかんない・・・十一面観音らしいけど。

洞窟回廊・磨崖仏;どこだったか忘れた。千葉の石仏本で、ここが平安時代に遡る可能性があると読み行ったんだけど、江戸時代ぽかった。地獄信仰が入っていて、鎌倉アルプスのやつに似て閻魔等の石彫がなかなかミステリアス。崖下の神社の背後を洞窟がめぐり出口にはやぐら跡(鎌倉様式の庶民・武家墓)史跡化していなかったのがよかった。

!!オーブが・・・今ごろ・・・

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箱根涅槃考

箱根は古くから霊場。地獄信仰が最も盛んだった平安時代から開けた東国には珍しい全国区の信仰地でした。賽の河原は移転してはいるけどもともと存在した精進池には鎌倉から室町時代くらいの立派な石造物が並び、八百比丘尼の墓なるものもある。

この元箱根(旧峠)あたりは山岳信仰もあいまって霊スポットとしても知られる。他にも江戸時代の霊スポットのお玉ヶ池があるが、芦ノ湖自体が神霊スポットなので・・・箱根神社は色々経緯はあるにせよ源氏ゆかりの遺物が見られる。そばにそびえる二子山は千人の幽霊が下ってきたという「反古のうらがき」収録の噂話が耳に残る。
こんにゃくえんま、塩地蔵、澤蔵司稲荷、稲荷にまとめられた近隣の流行神祠や石仏群、たくぞうすの神木、とうがらし地蔵、八百屋お七地蔵、八百屋お七の墓、日本初の献体「美幾女の墓」、牛天神の牛石、貧乏神・・・

小石川のミステリ史跡群。流行神が非常に多かった土地で、幼稚園の敷地内に併合された(前はお寺側にいちおう寄っていたが)とうがらし地蔵など現地に残されているけれど、明治以後だいたいは大きな澤蔵司稲荷や牛天神のようなところにまとめられている。澤蔵司の宿る神木が道路の真ん中にあり、切ると祟ると言われて非常に有名になったけれど、今は片側が歩道として整理され、木自体も枝ぶりはすごいが、弱っている。

たくぞうす(江戸三寺に数えられる徳川家ゆかりの伝通院の学僧たくぞうすが実は近隣の狐だったということになり祀られたいわば庶民向け流行神の大将みたいな稲荷)の通った蕎麦屋さんの神棚とかお寺とか他にも何度も行ってるので、いつかまとめておく。今はないけど澤蔵司の境内にあったマリア観音祠なんて切支丹屋敷と絡めて考えればかなりミステリアス。とりあえず。

;貧乏神、今は牛天神境内に他祠と合祀されている屋敷神。典型的な江戸末の流行神といえそう。福神と貧乏神については小松先生か誰かの近刊が店頭に出てるのでご興味があればどぞ。

・・・
中学生の頃フルオートカメラを手にしてからスナップ一筋。しかしそうとうフィルムや媒体が行方不明になっていて、なぜかflickr(先週アカウント作成・・・)だけに残っている写真もあるんですが、あげたつもりが何故かあがっていなかったり、順番がむちゃくちゃになるにせよ壊れ易いにせよバッチで動くアップローダが楽、また構造がオープンゆえ連携し易いということでとりあえず手元の写真をひたすらデータ化してアップしております。
by r_o_k | 2009-05-25 13:21 | 写真 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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