ト・リ・セ・ツ 〜このブログについて  

はじめましてのかたはじめまして。岡林リョウと申す者です。音楽系のところからきたかたはお久しぶりです、「おか」です。

ここはかつてニュース系・オカルト系・雑談bbs・映画&アート&漫画系サイトなどで扱ってきたバラバラの話題について、一箇所にまとめてしまおう(ようはさばき分けるのがめんどくさいので)と意図して作ったブログです。

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# by r_o_k | 2010-12-31 13:13 | ご紹介

東方の大魚のお産  


正和壬子の年4月12日、相模の海水の色が赤くなった。西は伊豆/静岡から、東は関東/房総に至るまで海浜300余里の間、朱い泡波が茫洋として漂う。人みな驚き怪しみ歎いた。虎関禅師が福山にいて、海辺に行って見ると紅色の波が限りなくさざめき、いつもの一滴の碧も見られない。禅師は手で水をすくいよくよく観察すると、紅い粟をしょう水に浸したようにぬめり滑り、粒だっている。魚の卵をにこごりにしたものの、椀底に残ったもののようだった。紙で水を掬うと湿りはするが破れない。携えて帰りいろいろな友に見せてみた。

国家の災いを予告するものではないか?禅師は玄中記にある東方の大魚のせいではないかと考えた。海を行く者、この魚の頭を一日目に見て、七日目にやっと尾を見る。この魚が卵を産むとき、100里の水が血に染まる。恐らくはこれだと。何の災いがあるかと思っていたが、3日後、元の碧い海に還って全てが無事であったという。ほっとしたのもつかの間、元亨、建武の乱が起きた。(南畝秀言)

これは古い話だが、江戸時代、大阪の淀川が紅く染まり、虫眼鏡で覗くと微細な蟹がびっしり見えたという話もある。プランクトン、すなわちどちらも赤潮のことなのだろう。破壊なくとも赤潮は自然に古来起きていた。ただ、こちらはいくらなんでも異常なスケールの話、原書とされる済北集の誇張というなら訳は早いが。。

# by r_o_k | 2009-11-23 02:05 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

狐魅截髪  


髪切りという事件が江戸から明治にかけておおいに流行った。往来で歩いているとき、寝ている間、いつのまにか髷や結い髪を切り落とされる。髪は文字通りの命と考えられていて、それらは今もたまに起こる事件のように単なる性癖の発揮やストレス解消のみならず、何らかの目的を持った「人間による」通り魔的犯行、恐らく奇妙な迷信、願掛けが背景にあったものだと思われるが、それだけで片付けられないような事件もあった、という。これもその一つと言えるかもしれない。

~著者幼年のころ髪截(切)というものが非常に流行った。知り合いがふと夕寝した間に髪を切られた。しかし枕に付いたところは切ることができなかった。その切り跡はとても臭く、よだれがべっとり付いていた。ある人、これを見て狐が噛み切ったのだと言う。今思うに、桐油と胡麻油で塗り固めた時は、どんな獣も近づけてはならない、ということだ。中国にも鼠の妖怪が寝ている間に髷を取る話や狐魅が人の髪を切る話があるからだ(中稜漫録)

# by r_o_k | 2009-11-22 02:08 | 怪物図録 | Trackback | Comments(4)

石鹸女  



死蝋という言葉を最近聞かなくなった。遺体の脂肪分がローソクのような成分に置換され、干からびて白骨化するより先に、真っ白い肉を保ったミイラの感じになる。。。更に稀に[石鹸化]現象にまで行き着く。全身が成分的に石鹸と化したソープウーマンというミイラの名を聞いたことがあるだろうか。米国の研究所に標本展示されている古い遺体で、南北戦争頃の上流階級の中年の女性が、贅沢暮らしの結果得たふくよかな体躯に満たされた上質の脂肪分を、埋葬後絶妙の環境のもとで腐敗させることなくそのまま石鹸と置き換え、生前の姿をミイラなりにではあるが保ったまま、現在も眠り続けているのである。珍しい現象ではあるが、ある程度の蝋化はよくあることで、そのあとにどろどろと崩れることなく原型を保っていて、たまたま棺をあけて目撃されたところが、キョンシーだのゾンビだの吸血鬼だのキリスト教の教えに反いた悪魔だの、もしくは逆に神仏に加護された不滅の尊いものと言われるミイラになる。見る人によって評価は別れるが、ほんとに稀な条件下で原型をほぼ保ったままとなる遺体もあるわけで、その皮の下には石鹸が詰まっているかもしれないけれども、とりあえずは、怪しきものと思われて仕方ないだろう。中には人為的に原型を留める張りぼてのようなものもあるようだが。。。

頭蓋骨の上に、あきらかに石鹸に見えるような、白いぼそぼそで肉付けされた、復顔術を施したかのような遺体が見つかる。

鈴村喜平さんはここのところ、風呂に入ろうとするたび石鹸がなくなっていることに悩まされていた。十数回にも及んだという。余りの奇異に、変な噂をたてられないよう近隣には黙っていた。

黙っているのには別の理由もある。決まって2のつく日になくなるのである。11月12日、ふと口にしたことがある。同居していた娘の喜代子のことだ。奔放な性格の喜代子は高校1年生、同じく同居していた祖母のうるさい小言に嫌気がさし家を出て、そのまま行方不明になっていた。祖母は喜代子がいなくなった日である2のつく日には、いつも線香をあげ無事を祈っていたのだという。いなくなった日というのは、昨年の11月12日に他ならなかった。

12月12日、父親の喜平さんはいつもそんなことはないのに、朝、何気なく仏壇の前に座っていた。蝋燭の火をつけると、風もないのに揺らめいた。嫌な予感がしたという。捜索願を出してから1年もたつが何の手掛かりも無い。

午前10時半、森戸山の丘陵の造成地で騒ぎが起こっているという話を聞いて、喜平さんは鍬をほおり出し、まっすぐに向かった。

作業員が駆け寄ってきた。死体が出てきたんだよ、若い女の。

喜平さんは仲間と現場へ赴く。人間の形をした、塊のような物が見えた。なるほど泥だらけのミイラに思える。

だが泥の上からでも、白い顔がはっきりと見えた。

喜代子にまちがいなかった。

こんな古い遺体でも、はっきりと若い女、それも紛れも無く娘に見える。

奇妙な塊を持ち帰った警察は鑑識にまわした。鑑識医は驚嘆したという。見たことも無いものだ、石鹸状になった若い女の死蝋だ?

犯罪史の文献にも無い、何百万人に一人いるかいないかの珍しい状態だという。他殺らしいが犯人は不明だった。しかしなぜ湿気のある土中で1年、こんなに完璧に石鹸と化していたのか説明がつかない。近所では顛末が知られるにつれ、噂がたった。

石鹸が紛失する出来事が頻発していたわけは、喜代子が持ち去っていたからではないか?

腐り落ち失われ行く顔の肉を補うため、、、石鹸をべたべたと、貼り続けて、いつか見つけてくれることを祈っていた、死蝋と化してまで親に会いたいという一念であったのではないか、と。(日本の怪奇)

# by r_o_k | 2009-11-20 00:54 | 怪物図録 | Trackback | Comments(2)

龍燈  


肥後の海中に現れる。大海の上に、夜中火が燃え出ること、人々語り伝える。今は滅多に出なくなったので詳細は誰も知らない。西湖の水灯なる怪火、景行帝が西国巡行のおり海中に見た知らぬ火から「火の国」則ち肥前・肥後の名がついたなど、例は多い(楢軒小録)

# by r_o_k | 2009-11-19 04:00 | 怪物図録 | Trackback | Comments(2)

生きながら鬼女となりたる者  


享保のはじめ、三河の保飯郡舞木村の新七というものの女房いわというもの、年25。京都から嫁いで来たが、常に心が刺々しくヒステリックで夫、気に病み失踪してしまった。そのあとを慕い追っているうちに静岡の新井まで追ってきたが関所を通ることができず、仕方なく帰ったものの、日増しに荒んだ心持ち増して、乱心のようになり、折しも隣家に死んだ者があった。田舎の習いで近所の私有林で荼毘に付したが、彼女そこに来行って、生焼けの遺体を引き出し、腹を裂いて臓腑を掴み出し、まるで飯をのように器に入れて、素麺を啜るように食っていたところ、施主が火の燃え具合を見に来た。そのさまに大いに驚き村中から棒など持ち寄って追い払う。女は大いに怒り、これほど美味しいもの、汝らも味わうべしと踊り狂い、蝶や鳥のごとく飛び去って行方痴れずになってしまった。

その夜近隣の山寺に入り、いつものように持参した器から臓物を出して喰らう。僧侶大いに驚き騒ぎ早鐘で里へ知らせ、村人たちは飛んで集まった。彼女はこのさまを見てここも騒がしいと背後の山の道なきところを平地を行くかのように駆け登って消えた。生きながら鬼女となったこと、顛末をお上に申し出て、村々にお触れが出たという(諸国里人談)

江戸話にはこのたぐいが多い。都市部の町民にくらべ閉鎖的で制約だらけのかなりのストレス社会だった地方においては、身分を捨ててまで出奔したり、ちょっとしたことで気を違える例が多い。これは誇張を除けば恐らく単なる気狂いだろう。カニバリズムもごく普通に見られる。栄養状態のわるさ、現代とのモラル感覚の違いがあることも確か。仏教社会だったことがそういった本来の姿/性向を隠していた側面が多いのではないか。お上がとても厳しかったから、報告義務があるとはいえ下手をすると連座させられてしまうのだ。妖怪のせいにすればいい。。そこには人間の身分を与えらなかったり剥奪された者たちもいる。。

# by r_o_k | 2009-11-19 03:07 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

身替わり天狗  


正徳の頃、江戸神田鍋町小間物商の14、5歳の調市、正月15日の暮れ方に銭湯に行くと言って手ぬぐいなど携えぶらり出て行った。少しして裏口に佇む人がいた。誰だろうと咎めると、先ほどの調布であった。股引草履の旅姿で、藁包みを杖にかけて中に入ってくる。主人は聡い男、慌てることなくまずわらじを解き足をすすぐがいいと桶を出した。恐縮して足を洗い、台所の棚より盆を出して、包みを開けば野老だった。積んで土産ですと差し出した。そうして、今朝はどこから来たと尋ねる。秩父の山中を今朝出た、長々と留守にしてご迷惑をおかけしましたと言う。いつ家を出たと問えば、昨年13日煤払いの夜、かの山へ行き昨日までそこにいました。毎日お客が来て給仕をしておりました。様々の珍しい物をいただきました、お客様はみなご出家の僧侶でありましたとのこと。昨日おっしゃるところ、明日は江戸へ返そう、土産に野老を掘りなさいと達しがあったことによって掘って参りましたなどと語った。師走にこの者が出たことなど、家に気付いた者は誰ひとりいない。身替わ
りに何者かが化けていたのだと、後になって知ったのである。そのあとはとくに不思議もなく、それきり。(諸国里人談)

盗まれた町、ですね。SFボディスナッチャー!表題が天狗を雇う、となっていたので天狗とした。

# by r_o_k | 2009-11-19 02:05 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

腐骨瘡  


腰周りから下、股脛の間に理由もなく大きく腫れて、4、5日のうちに破れて膿数升が出る。毒消し薬を服用して膿を吸い出し、膏薬を貼っておくとよい。しかし、流行り病のため、軽くて1年、重いと3年にして初めて治る。そのまま2年も過ぎると、傷口から骨が出ることがある。骨は傷の大小によって2、3寸くらい、少し頭を出し、日々長く出てついに落ちる。驚くことは無く、膿によって骨が朽ちて出たものだ。このとき、鰻弁昆布を朝夕煮て食べれば、格別早くその骨は抜け出る。この傷を医書では腐骨瘡という。これを癒すにはまず人の口で膿を毎日吸い出すより他ない。膿が体内深くあって出すことができないとなると、骨を侵すのである。癒えた痕は痺れて感覚がなくなる。死肉と呼ぶ。しかし、だからといって生涯何の害も及ぼすことはない。著者の友もこの傷をわずらい、骨3、5寸くらいのものを十余り出した。今は癒えて少しも支障が無い。(南陵漫録)

これは何の病だろう???癒えるということから化膿して腐り落ちたわけでもないらしい。骨を生じるというのがどうにも不思議なので、怪物として扱う。

もちっとちゃんとかけばよかった。。

# by r_o_k | 2009-11-18 01:51 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

九人橋  


加賀の味噌倉町という武士町に九人橋という小さい橋がある。昼夜を問わず、十人並んで渡ると、影が一人足りない。九人ぶんしかない。不思議と思う人々が試しにいろいろ渡り直しても、ことごとく足りない。不審に思い何か人影の写らないかと試してみると、右か左端、あるいは真ん中の人影にうつらないものがある。毎回出現パターンが違うのもましてや不気味である。九人橋は必ず手をとりあって十人が同一に歩ければ障りを受けない。このあたりは寂しく武家屋敷だらけであり、向いに竹やぶが見られることからそこも転居して痕跡をのこしていないが、元は武家屋敷だったろう。土地が余りよくないから不審に思う(北国巡杖記)

# by r_o_k | 2009-11-17 02:01 | 怪物図録 | Trackback | Comments(7)

蠅池の神蛇  



越中蓑谷山の頂上にある蠅池は広さ三百七十間四方で鏡のように満々と水を湛えていた。この池には神蛇が住む。毎年7月15日の夜、容顔美麗な女体が現れ、池の上で一夜遊び楽しむため、人を制し登山を禁ずる。また、この池には椀貸しの伝説がある。この里の農民が豊作の祝に村長古老を饗応しようとしたものの、貧しく宴のための器すらなかった。ある日この池のほとりに行き嘆息して歎くと俄かに池面が波打ち、朱椀など十人前が浮いた。主の同情を得たと喜び厚く礼拝して明後日まで貸してくれるよう頼み、饗応をすますと約束通り返した。村中にうわさが拡がり皆これを真似るようになったが、ことごとく翌朝必要なぶん椀など浮いたという。やがて家具なども借りるようになったが、そのうち一人の老婆、家具を三人ぶん借りてそのまま十日ばかりも返さなかった。しまいには椀を二つばかり失ってそのまま返した。すると池の波はにわかに沸き立ち雷鳴大雨洪水が起きて、老婆は屋敷ごと潰されてしまい、以後祈っても頼んでも二度と家具が出ることはなかった。今は刺刺と薮が繁茂し荒れ果てて、深さは千尋にも及び、常に太陽の光もあたらず、木々の枝が池面すら隠し狐狼の住み処という寂しく何も無いところになってしまった(北国巡杖記)

零落した神とかいって柳田派が喜びそう。

# by r_o_k | 2009-11-17 01:21 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

飽海神軍  



出羽国庄内飽海社は大物忌大神と号され、祭神は倉稲魂神である。年に一度、風が激しく震動して、天気がいつもと違うことがある。そんなときは、雪や霰に混じって、矢の根が降る。これを神軍と呼び地元の人は非常に恐れている。晴れたあと、木陰に石でもなく鉄でもなく、鏑矢や蟇又などの鏃が数種類見つかる。これを雷斧という。鹿伏の矢の根と変わらないものである。また奥州、能州の中にもそういう話がある。常州鹿島にもあるという。まさに本草に書いてあるところの雷楔(くさび)、雷斧のたぐいだろうと思われる。(諸国里人談)

自然系の変異だとは思われるが、それにしてもはっきり該当する現象は思い付かない。霰とは違うとはっきり書かれ、さすると雹もまたしかりと思われるから、火山の噴出物か隕石のたぐいでもあろうか。

# by r_o_k | 2009-11-16 23:15 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

洋中の新堤(海市)  



薩摩の小敷島の沖で漁師が何かを見た。皆が不思議に思って近づいてみると、洋上に堤がある。松の板を釘で打ち付けた中に、堤防を築き、上に7、8尺の松を植え、芝草を敷き詰めている。長さは3丁ほどだが、海中の広いところで3丁ほどとすれば、実質1里ほどあるに違いない。漁師達は恐れて帰り人に語ったが、後で船を出して行っても、二度と見ることができなかった。

これは海市と思われる。朝鮮の文献に、海上に門屋のような物を見たという記録がある。西海から来た漁師にも聞いたことがある(南陵漫録)

南陵は最終的に蜃気楼と結論付けているが、洋上で、細かな部分まで観察していることから現代で言う光学的な蜃気楼とはどうも違うように思う。隠れ里の類の怪かもしれない。

# by r_o_k | 2009-11-15 22:57 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

牛の鼻の歌  


静岡に牛の鼻というところがある。20年前にその上の絶壁が欠けて落ちた。すると壁面に歌が一首現れた。ありありと見える、という。

よぶ牛の鼻の車に法の道引れてここにめぐりきにけり

この歌、大昔からこのあたりの人の言い伝えにあるもので、古老に知らぬ者はいない。そういった歌が自然に現れるのも不思議なりとて、ここの木挽の談話である(中陵漫録)

敢えて詮索しないほうがいい奇談だろう。これはそういうものなのだ。少し前、筑波研究学園都市に[お姉さんビル]なるもの、話題になったことがある。死んだ子供の断末魔の声がマンションの壁面にひび割れとして焼き付いたということだった。私も実見した。何人ものスキモノが調べ上げてもそのような事件の痕跡は確認できなかった。いずれ詮議は無粋、もっとも中陵は奇談の詮議に積極的だったようで、桜島の巨大兎を探しにいって嘘だと断言したりなどしているのだが。

# by r_o_k | 2009-11-15 00:09 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

古壺  



豊後の某村に、いたって粗末な古い社があった。中にはただ一つの壺があった。ある時一人の乞食が住み着き、時々村中に出て食を乞う。ある日、里正が乞食を見ると、伝来の壺に酒を買って入れていた。他にも目撃者が沢山いて、腹に据え兼ねた里正は罵り、出て行くよう追い立てた。この夜より里正をはじめ村中の人が夢に見たのは、この壺が現れ、我はなはだ悲しい、日々彼と酒を入れ共に楽しんでいたのに、今はよその村に行き連れもなくつまらない。なにとぞ、元のように日々、酒を入れて共に楽しみあれば、我幸なりと。毎晩のことについに乞食を呼び戻し、毎日酒を買い与えて社で寝させるようにしたという。古い壺はおかしなことをなすことがある。備中松山の東毎字というところの辻堂の中にも旧い壺があった。誰も手をつけようとしなかったが、ある時一匹の犬が顔を突っ込むと、どうやっても抜くことができなくなった。これらは恐らく昔の骨壺であったと思われる(中陵漫録)

罰当たりが逆に大当り、という昔話のパターンにすぎないが、少し中国の故事のような風味もあり面白い。著者は当時の茶道を風刺して、珍重される道具が骨壺を加工したものだったり西洋諸国の便器だったりする、元を知らずして楽しむのもいいが知ることがあったら避けておくのも吉、と置いている。

# by r_o_k | 2009-11-12 23:22 | 怪物図録 | Trackback | Comments(2)

血余  



江戸某の婦人、髪の長さ9尺余りもあり、引くと更に3尺過ぎる。月に3、4尺切るが、すぐさま3、4尺伸びる。ついには剃って尼になった。昔一人の婦人、髪を結って寝ると一夜にして解けてしまう。果たして夜見ると髪の毛が自ずと散って揺れ動いている。ある医者、深夜に動揺する髪を取り短刀で根本から切り、直に熱湯に投げ入れた。髪はたちまち血と化して、以後この病は収まったという。これらは血のなすところとされる。医書に髪を血余と書くとおり、そのような髪を器に納めて焼くと皆血と化す。薩摩の農民に頭頂部に瘤のある者がいて、医師の土橋氏が削り取って見ると細い毛の塊が入っていた。解いて見ると牛の毛のような長さ一寸ほどの髪の結えたものだったという。(中陵漫録)

# by r_o_k | 2009-11-12 22:41 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

異像  



肥前の佐嘉から西6里の多久というところに四本柱の堂がある。そこにまつられているのは古い木像で、何ともわからないものである。時に見えなくなり、また現れる。村人たちは路傍などで見かけることがあるという。拾って来て自宅の仏壇に入れ2、3日いろいろ供養して貴重な食べ物など供え、お帰りやいなやと言って堂に返す。もし路傍からそのまま堂に持って行くと、直ちに腹痛してはなはだ苦しむという。長崎の吉雄幸左衛門の婿桔梗屋という日連宗の紙屋では、先祖伝来の農神像を汚いと言って盥で磨き洗ったところ三人腹痛してとても苦しんだ。慌てて清水を汲み寄せ加治祈祷したところおさまった、以後おおいに尊賞したと著者は主人より聞いた。

著者自身の体験として、江戸渋谷長谷寺の円通閣の左の木の下に高さ3、4尺ほどの石像があった。形はまるで鬼子のようで、左手に木を杖代わりに突いている。誰もその由来を知る者はおらず、誰彼ともなく願をかけて不思議ありといって、噂が拡がり、程なく流行神となった。堂も寄進され額を奉じる者もいて、日に3、400人を越える参詣客となっていた。誰からともなくこれを野双神と称して天の星なりと言い伝えるようになった。半年もすると参詣客も途絶えた。

著者の父が言うには昔これは某の庭にあったものだが、忽然と亡くなり家の跡形もなくなったところ、別の某に贈ったところが同じく滅びて跡形も無くなった。僅かの間に主人を亡くすこと5~7人にもなり、畏れて寺におさめたのだという。敢えて近づかないようにと言われたとのこと。

麻布桜田町の秋月侯の庭園の後ろに似た石像があり、昔から夜中に時の鐘を打つ者がここを通り掛かったところ人が立っているように見えておおいに驚くことがあった。翌朝見ればこの石像だったのだが、いつの時か刀で斬られ痕が残っている。

銅で異像を作った人の家が突然絶えた、このような異像を入手した者の一家全員に祟りがあったなど枚挙に暇が無い。珍しいといって絶対に求めてはならない。著者の知り合いの家に一つの銅像があったが、甚だおかしな異像で何という物なのか知らない。仏壇に置くと時折唸り声をあげて家中の者を震え上がらせた。著者はこれを貰い鋳潰して印鑑を4つ作った。とても固いもので何度も鋳直さなければならなかった。それを聞いた貰い元の家では気の毒だと思う余りか病んでしまったというが、この頃著者は異像を沢山鋳潰しており何の害も受けなかった。ただ、出来のよい印は一つもできなかった(中陵漫録)

この驚異的な随筆には竹島についての記述なんかもある。既に領土問題でもめていたさまが読んでとれる。

# by r_o_k | 2009-11-11 21:16 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

地縮  


倶利伽羅山のあたりに起こるという。蜃気楼に似て、晴れも曇りもしない穏やかなとき、見たことも聞いたことも無いくらいの遠い深山幽谷が目のあたりに見え、山木の数々から谷川の流れる音まで間近に聞こえる。鳥獣や行き交う人々も俯瞰するようにことごとく見え、さながら聞いた仙境から見た様子に似ている。陰気水煙の気のなせるわざか、雨が降るとき遠い島が間近に見えるたぐいと同じとはいうものの、松風水音のそばに聞こえるさまが訝しく、よそでもみられない点だ(北国巡杖記)

このあたりも伝説が多いようである。光学的なものだけではなく、音まで近くなるのが不思議、ということ。

# by r_o_k | 2009-11-11 00:51 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

猫多羅天女  


越後の弥彦山周辺には霊験ある史跡が多いが、弥彦神社末社に猫多羅天女の禿というものがあった。佐渡島の雑太郡小沢に一人の老婆がいたが、ある夏の夕方、上の山に登り涼んでいたところ、一匹の老猫が来て戯れる。そのうち砂の上に臥し転んで、様々に不思議な遊びをする。老婆も浮かれて同じように砂の上に転んで真似てみた。何とも涼しく快い。翌晩も行くと猫がいて同じく戯れる。何日も取り付かれたようにしていると、自然と全身が軽くなり、飛行が自在になり、魔力で天地を駆け巡り、たちまち目にくまどりが浮き頭は禿げ、毛を生じ形相が凄まじく、見る人はみな肝を潰し気絶した。しまいには家を出て虚空に去ってしまった。空一面鳴雷し山河は崩れるが如く、やがて越後の弥彦山にとどまって数日霊威をふるい雨を降らせたが、里人は難渋しこれを鎮めるべく猫多羅天女と祭った。以来毎年一度佐渡へ渡り、雷鳴で島じゅうを揺るがすのみとなった。(北国巡杖記)

弥彦山の山姥伝説と関係があるのだろうか。

# by r_o_k | 2009-11-10 22:46 | 怪物図録 | Trackback | Comments(2)

竜蛇  



出雲の秋鹿郡佐陀社には様々な神事がある。神在月の10月11日から15日までの間、沖から一尺ばかりの小蛇、波にのって磯に寄る。蛇は金色をもって特徴的でありとても美しい。竜蛇と呼ばれる。神官は潔斎して波打際に出て待っている。来た蛇は海藻に鎮座している。神官が海藻を手にとると蛇はすぐ神前にすすむ。海神から佐陀社へ海藻を献上しにくるのだとか?藻につくといえばタツノオトシゴの類かもしれない。(諸国里人談)

# by r_o_k | 2009-11-06 09:41 | 怪物図録 | Trackback | Comments(4)

御浅明神の仕者(人魚)  


若狭の大飯郡御浅嶽は魔所で八合目から上は立ち入り禁止にされていた。使者は人魚という言い伝えがあった。宝永年間に乙見村漁師が漁の最中、岩の上に異様なものが臥しているのを見た。頭は人間、襟に鶏冠のようにひらひら赤いものをまとい、それより下は魚だった。条件反射で手にした櫂を打ち下ろすと即死したので海に投げ入れて帰ると、それより大風で海鳴り17日止まらず、さらに30日くらいで大地震があって、御浅嶽の麓から海辺まで地割れし、村はそっくり沈んでしまった。明神の祟りと伝えられた。(諸国里人談)

# by r_o_k | 2009-11-06 00:55 | 怪物図録 | Trackback | Comments(0)

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